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海外旅行紀行・戯言日記

海外旅行紀行・戯言日記

エミール・ギレリス

エミール・ギレリス(1916 - 1985)
1916年ウクライナのオデッサに生まれ、モスクワ音楽院在学中にベルギーの国際コンクールに優勝し、1948年西欧デビュー、1955年アメリカデビューで圧倒的評価を得、日本にも4度に亘って訪問。1985年モスクワで心臓発作で逝去。

ギレリスが独グラモフォンにベートーベンのピアノソナタ全集の録音を開始したのは1972年、足かけ14年という歳月を費やしましたが、全32曲を完成させることは出来ませんでした。
1984年最後の訪日時、“ハンマークラヴィア”が発売されたばかりであったがインタービューに答えて彼は次のように言ったそうです。
「“ハンマークラヴィア”は初めての録音です。ご存じのようにこのソナタは大変に巨大で偉大な作品です。技術的に練習して表面的に弾けるようになったからと言って録音出来るような作品では勿論ありません。私も以前からこのソナタを弾きたいと思っていましたし、若い頃にも随分練習しました。しかし、それはエベレストに登る様なものだと思うようになりました。
レコード会社はどんどん録音してくれと言いますが、私は自分が納得出来るまでは出来ませんし、やりません。“ハンマークラヴィア”もそうでした。ですから、私もエベレストに登れる様になったから録音したのだと、この演奏を聴いて思って頂けるとしたら、大変誇りに思います。」
演奏を単に技術だけでなく、作品を作曲家の全体像の中で捉えようとする彼の音楽に対する真摯な姿勢が感じられます。

彼の最後の録音はベルリンの教会にて、ソナタ11番が1985年6月、“選帝候ソナタ”2作品(WoO47-1及び-2)が1985年8月に行われました。何故ベートーベン自身が高い評価をした11番と、13才の時ケルンの選帝侯に献呈したとは言え修行時代の作品をカップリングしたのか、その理由は語られていませんが、鑑賞するものへの問いかけをしているかも知れません。


ソナタ 変ホ長調 WoO47-1 第3楽章 ロンド・ビバーチェ


音楽評論家の吉田秀和が新潮文庫の中で
「ギレリスのベートーベンは、模範演奏的な堂々たる足取りと精密さを以て弾かれている。イン・テンポの格式美を土台とする自分の行き方について完全明確な意識を持っているからだろう。
同じソ連のピアニストでも、リヒテルと違う点であろう。リヒテルは、時にエキセントリックな位、自分の霊感に任せた演奏に突っ走りかねない。」
とも述べているのです。


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